出会い口説きALLOK

デキル男のためのライフスタイルマガジンです。裏モノJAPAN監修の出会いや口説きに体当たりで挑戦したブログです。

出会い系サイトのみならず貧欲に出会いの場を求めたい。

寂しい。もう限界だー離婚して4年の月日が経った。それは僕が大阪から上京してきた期間し、ほぽ同じ年月。右も左もわからないまま、ひとりぽっちでかじりついている。独身貴族っていうけれど、そんな貴族生活は、もう堪能し尽した。

もともと僕はひとりが苦手。いつも誰かと一緒にいたい性分だ。特にひとりで寝るのは頭がヘンになるほどイヤなのである。23才で親元を離れ、すぐ友人宅の台所に居候し、キッチン生活のさなかに知りあうた彼女と結婚した。

大阪にいる頃は、ただの一瞬もひとりで過ごす時間はなかうた。寂しくひとりで過ごすなんて考えられなかうたのである。それなのに今は……。
申し遅れたが、僕は吉村智樹というフリーランス・ライターだ。フリーライターになうたのは東京に出てきてからで、それまでは、大阪で7年間、放送作家をやっていた。

週に8本のレギュラーを抱え、うち3本は自ら出演もしていた。以前はミナミのアメリ力村にある編集プロダクション勤務のサラリーマンで、同僚にときめく作家の撒本野ばらがおり、彼しともに花形文化通信というフリーペーパーを作っていた。

大阪の人なら「あ、あれかあ」と、わかうてもらえるかもしれない。放送作家をやりだしたのは、この会社から出向という形でFM大阪の番組に構成で携わったのがきっかけだ。

地味な編集者と違って、放送の仕事は出会いが本当に多い。それが嬉しくて嬉しくて、毎日が学園祭のようで、僕は放送の仕事にのめりこんでいうた。のぼせあがった拍子に遂に、プータ口ーの僕を拾ってくれた恩ある編集プロダクションを、まるで後ろ足で砂ぜかけるように辞め、放送作家に転身した。25才の時だ。

いま考えれば、放送作家として才能があったわけではない。単にツイていたのだと思う。ちょうど若い作家が枯渇していた時期だうた。運よく、現在ダウンタウンの番組を主に構成している大御所作家の倉本美津留氏と知り合い、氏の紹介で瞬く間にレギュラーが増えた。

平行して、当時大阪から鳴り物入りでデビューしたモダンチョキチョキズの。ブレーンを担当。途端に収入が月に100万円を越えた。未知の人との出会いが楽しく、毎日が新鮮。時間が宝石のように輝き、生きているのが楽しくてしかたない。
31才の遅すぎる上京は取り返しのつかないハシカ
しかし、それは付け刃でしかなかった。運だけでやってきた僕の放送作家生活に陰りが早えはじめたのだ。バフルが崩壊し、制作予算がさらに厳しくなった関西の放送界。現場には冷たい空気が吹きはじめた。

会議はどこを切りつめるかというシブチンなテーマばかりに長く時問を割くようになり、それまでが恵まれすぎていた僕に、なんのアイデアも通るわけがない。予算に対抗策のない僕に、プロデューサーたちの見る目は当然変わる。

それでなくても長い会議がさらに長くなり、ひとつの番組に15時間以上座りっぱなしが当たり前になっていた。僕は、無駄に番組本数だけは抱えていたため、ストレスで髪の毛が抜け、どでかい円形脱毛が3箇所にできた。

いまも頭を剃りあげているのは、この円形を隠すためである。また、深夜の帰宅が続いたため、夫婦間のコミュニケーションも取れなくなっていた。頭の片隅に常に仕事の悩みを抱えていたため、まるでHな気分にならずインポテンツに至る。いわゆるセックスレスに陥っていたのだ。

頼みの綱であった倉本氏が東京に居を移し、モダンチョキチョキズも売り上げ不振で実質の解散。DJをやうていたFM大阪の番組も終了が決定し、後ろ盾はすべて消滅ー

「東京に行こう」今のままでは辛い。現状を打破るためには行くしかない。しかし東京に行って何をする?先に東京に来ていた先輩作家たちを頼うて、情報番組のリサーチなどのオコボレを貰うて生きながらえる方法もある。

しかし誰かを頼ってうまく放送の世界に潜り込んだって、結果が同じなのは火を見るより明らか。これ以上どこをハゲろというのか。チン毛か。そこで考えた。もともと出版畑の人間だから、書くのは嫌いではない。

ライターならコネがなくともコツコツ営業すればなんとかなるのではないか。その甘い考えへの戒めか、ライターへの転身と引き替えに、これほど多くのものを差し出さなければならなかったとは……。昔から「ハシカは早くかかっておいたほうがいい」という。31才という遅すぎる上京は、まるで取り返しのつかないハシカみたいなものだった。
そして、妻は大阪へ帰っていった
東京の最西端「高尾山」の麓の西八王子というトンデモないところを住む場所に選んでしまうたことから、すでに間違いははじまうていた。山に囲まれた西八王子は夜8時か過ぎれば漆黒の闇になり、得体の知れない野鳥の大群の鳴熱声しかない。

緑もきれいな空気もある八王子だが、商店街がないと生きていけないネイティブ・ナニワンな僕ら夫婦には、むしろそんな自然の光景は身体に毒だった。さらに営業が思った以上にうまくいかない僕は、東京に居ながらにして保険のために引き継いできた大阪の仕事だけをこなす日々に終始イライラ。

僕以上に寂しがりだった妻は知人も友人もいない東京のはずれのマンションで、孤独を募らせる。夫婦の関係は見るも無残に悪化し、上京してわずか4カ月で離婚ということに。彼女は愛する大阪に帰うていった。

いまにして思えば、あの4カ月は地獄だったろう。よく耐えてくれたと思う。僕はどこまでも悪い男だ。そこまで追いつめたのに慰謝料すら払っていないのだから。マンションを出ることになった僕は、しばらく新宿で野宿して暮らした。

食べるものといえば、新宿のベルギー・ワッフルの店がゴミに出す、コゲたワッフルを漁るだけ。野宿とは。
寝るためにダンボールが、ここまで争奪戦になることも初めて知った。自動販売機のつり銭の取り忘れを掻き集めて買うて食べた豆腐一丁のウマサは、忘れられない。わけのわからん衝動に駆られて上京したばっかりに、妻を失い、蓄えも底をつき、今では野宿。

しかし朱うだけ失った人間は強い。それから僕の営業熱は激化した。出版社に飛び込み「コラムを書かせてくれ」と頭をさげまくる。当然コジキを見るような目にさらされることが殆どだったが、なかには

「目の前で書いてくれるから締め切りが守れていい」

と言うてくれる奇特な編集者もいて、仕事は徐々に増えていった。扶桑社では弁当を恵んでもらい、ミリオン出版は机だけでなく、寝るためのソファも貸してくれた。ほかにも窮地を救うてくれた出版社はいくらもある。その温情には思い出すだけで泣きそうになる。東京に来て良かうたと、噛み締めるように思うた。
男でも女でもいい誰か助けてくれー
なんとかお金ができた僕は、高円寺に住むようになった。東京オリジナルの仕事も徐々に増え、ここで「全部いちからやり直そう」と誓った。しかし、お得意先が少しずつ増えてきたとはいえ、友人知人のいない状況に変わりなかうた。むしろ新宿の雑踏から、屋根のある場所の暮らしに移ってから、ひとりぽっち感が強まうた。昼は街が賑やかなのでいいが、夜になると孤独で胸が張り裂けそうになる。不安だ。これからどうなるのだろう。俺はひとりなんだー

やがて僕は、あるモノにのめりこむようになる。出会い系サイトだ。そういうものがあるとは知っていたが、ネットというものに不信感が拭えなかうた僕は、それまでパソコンを仕事以外に使うことはなかったのだ。しかし仕事以外に誰も話し相手がいない牢獄のような生活は、もう限界だ。

「友達が欲しいー」

それから僕は出会い系し名の付くサイトに片っ端から登録した。ハンドルネームという方法がよく理解できなかうたので、すべて本名での登録である。普通、出会い系サイトはナンパに使うのだろう。僕もHはきらいじゃない。むしろ好きだ。大好きだ。大好物だ。

そういうナンパ目的の必勝テクニック集も、さまざま発売されていた。しかし当時の僕は、もう本当に、純粋に友人が欲しいだけ。ブリッコしていうのではない。知人のいない地にひとりでいると、人は

「男でも女でもいい。こんな僕とお茶飲んで、話してくれるなら誰でもいい。助けてくれー」

と思うものなのである。とにかく始めた時期が良かったのかもしれない。即、メールがじゃんじゃん届きはじめた。ほとんどは男からだった。

「お笑いが好き」と書いてあうたので、落語の話しようよ

散歩が好きだそうですが、中野健足会に入会して古城めぐりしませんか?

僕は嬉しくて、皆と会いまくった。クラブイベントのオーガナイザーと知り合いDJをさせてもらえる機会も得た。さらに落語家さんと知りあって台本書くよう頼まれたり、僕を知っていた編集者から原稿依頼のメールまでいただくようになった。
僕はどこにでも行く

愛情と友情がある限り当時の出会い系には、放送作家時代に近しい、輝きの出会いに満ちていた。数は少ないが女性からの応募もあり、モチロン全員に会った。嘘いつわりないプロフィールが良かったのだと思う。お茶飲み友達になってくれた人、重い風邪をひいたときに看病しに来てくれた風俗嬢、そして全裸で手コキしてくれた女性

と、性的にめぐまれることもしばしばである。僕は感謝の気持りでいっぱいだ。こんな素晴らしい出会いの機会を作うてくれた出会い系サイトに、どれほど感謝しても足りない。だから本名を偽ってヤリ捨てたり絶対しない。そして今、僕はこう思っている。
「再婚したいー」

出会い系サイトのみならず、もうと貧欲に出会いの場を求めたい。もう寂しさから開放されたい。出会えるだけ出会って、出会いまくって、出会い倒して、再び伴侶て求めたい。もちろん男女年齢住所問わず。そこに出会いがあるなら、将来の伴侶に繋がる道が開けるなら、愛情と友情の泉があるなら、僕はどこにでも行く。結婚できるならなんでもするのだ。